戦争体験

<2006.09.29>

<津高32年卒業生の文集>
 
「国民学校1年生の戦争体験」


今も世界のどこかで戦争や内乱の為に、罪も無い幼い命が奪われ、幼い心身が傷つけられています。現在戦争も内乱も無い平和な日本も、61年前には恐ろしく・悲惨な体験をした幼い子供がいたことを記録として留め、且つ、多くの方々に、特に戦争の恐ろしさを知らない世代に伝え残したく、太平洋戦争終戦の年、6歳の国民学校(現在の小学校)1年生で、後世に語り継ぐ最後の世代ではと、高校の同期生(昭和32年卒業)で「国民学校1年生の戦争体験」を文集として出すことになりました。倭神豚も同期生の一員として拙文ではありますが参加させて戴いております。戦争は何も解決してくれない、戦争によって得る物は何も無い、ただ、悲惨で大きな悲しみと多大な損失だけが残るだけであることを、この文集を通して知って戴き61年前の戦争の悲劇を風化させない為にも、できる限り多くの皆さんに読んで戴ければと願っています。(平成18年8月15日:終戦記念日:倭神豚)


8月始めに、倭神豚とは小学校・中学校・高校と同級生で、今回の「体験記」の呼び掛け人であり編集・制作者の平塚市在のFJMR君より、「1年がかりとなったが、やっと仕上がった」と「国民学校1年生の戦争体験」記が一冊送られてきました。投稿された同期生の体験記を読むと、今日まで学舎や同窓会等の席で話す機会はあったのに、一度も61年前の体験談を耳にすることは無かった。FGMR君が体験記の<あとがき>に、「高校時代は幼い頃の戦争体験など話し合う機会もなく、青春を謳歌することに精一杯だった。」と書いているが。確かに思い出す余裕がなかったのも事実でした。しかし、体験談を読むにつけ、記憶として残っている悲惨な体験を敢えて自ら無意識に封じ込めていたのではないだろうか? 青春〜恋〜子育て〜仕事etcに悲惨な体験談はプラスにならなかった。だから思い出し話す必要が無かった。しかし、頭の片隅に仕舞われていた記憶が、会社や家族への責任ある立場から一歩退き殆ど自分自身の事さえ考えておればよい気儘な年齢となった今、怖かった体験・悲惨な体験・苦しかった体験を記憶の片隅から引っ張り出し、文書として書き綴り投稿出来たのではないでしょうか。無論、全ては「体験記を!」との呼び掛けがあったからで、呼び掛けが無かったら悲惨な体験は各々の胸の中に仕舞い込まれて「体験記」は出版出来なかった。そして、同期生の皆さんが、夫々に色んな土地で悲惨で苦しい体験をされていたことを知る由も無かった。ここに改めて、呼びかけ人のHTR・FGMR両氏に感謝する次第です。<2006.09.30:倭神豚>


 

当初、「体験記」を親戚と友人用に10部もあれば充分と考えていたが、幸か不幸か倭神豚が8月11日にハイキング途中に滑って転び骨折、12日より入院することとなり、病室を訪れる見舞い客等に「体験記」を見せて、「ご家族や、お友達にも回して戴き、多くの方々に特に若い世代の方に読んで戴きたい」と説明したところ30冊を超える数が捌けた。これが本当の「怪我の功名?」で、半数近くは郵送したが残りは全て手渡しで消化出来きた。
また、「体験記」を読まれた方からは絶賛の声を多数戴き、「戦争体験記」が発行できたこと、そして「戦争の記憶を記録する会」のメンバーの一員として参加してよかったと思っております。名古屋の世話人ARI氏に入院中の病室に届けて貰い、その第1号を入院中の病院院長に贈呈したところ、病院の盆休み明けの朝礼で看護師をはじめ全職員に「体験記」を「皆さんも読んで見なさい」と紹介されたことを看護師から聞き、わざわざ紹介して下さった院長と、病院の若い方々に読んで貰える事に感謝しております。因みに、当病院の院長は昭和20年生まれで他の職員も戦争を体験してない若い年代、病院内で唯一人の体験者で掃除のおばさんが豊橋で空襲に遭ったことを病室で話して呉れました。
また、
倭神豚とは同年齢で岐阜市に在住の友人に「体験記」を送付したところ、「体験記」の内容・企画に感動されてご自分のブログ(六文銭)にこの「体験記」を紹介して戴きました。
友人の紹介文は、下の
「☆ブログ:六文銭」をクリックすると開きます。また、「体験記」を読まれた方々より、メール・手紙・電話等で多数のお礼を戴きましたが、その中より一部を下記に掲載させて戴きました。
尚、当「体験記」の「戦争の記憶を記録する会」にも各方面より反響が多数寄せられいる為、反響の受け皿として「国民学校1年生の戦争体験:ホームページ」を立ち上げております。下の
「☆戦争体験HP」をクリックしてご覧下さい。

☆ブログ:六文銭
☆戦争体験:HP


MSM様(岐阜)
今回の貴兄たちの企画には、本当に感服しています。よくぞやってくれたとの思いです。
ですから、今回、(ブログで)若い人達に紹介したのは、こんなことをしている人達がいるよということではなく、これは私の経験なのだ、これを読んでくれという私自身の叫びなのです。
実は、これを読んだ私の同級生から、私たちも何かアクションをという声が挙がっています。良い刺激を有難うございました。

MRT様(刈谷)
先日は、貴重な戦時中の記録集有難う御座いました。とてもまとまりの良い仲間ですね。
また、津市がそんなに大変な爆撃を受けたことを初めて知りました。私は、浅学非才知らない事ばかりです。戦後生まれですね。

NRK様(名古屋)
先日は、「国民学校1年生の戦争体験記」お送り頂いて有難うございました。早速読ませて頂き、ページをめくる事に胸が熱くなってきます。戦争は無論、争いごとは懲り懲りですね。

姪:YSKより(東京)
先日は、貴重な体験文集をお送りいただきまして有難うございました。数々の戦争体験文に心が痛みました。また、三重県内にもこんなに多くの空襲による被災地域があったこと、そして、おじいちゃんや伯父さんのおかげで、母も伯母さんも助かったのだということを改めて知ることができました。この国は、戦争で犠牲となった人たち、国を守るために命をかけた人たち、戦中戦後の厳しい時代を乗り越えてこられた人たちの上に成り立っているのだということを決して忘れることなく、平和について考えてゆきたいと思います。

  誰かが、テレビ番組で言っていました!
 
日本国憲法第9条を
「世界平和遺産」にと!
 
いいでしょうね〜世界中が第9条を国の憲法に!
 
ただし、条文を勝手に都合よく曲げて解釈しない限りは!

<関連記事:「戦争体験記」51頁>


日本国憲法:第9条 <戦争の放棄>

@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする。国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際
  紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持
  しない。
  国の交戦権は、これを認めない。

 

    TOPへ